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May 18, 2011

をんな善哉

時は現代。舞台は東京の下町、例えば根岸あたりの甘味処「笹本」。

大学を卒業した諒子は広告代理店に就職した。時代はバブルへ向かう頃。
結婚などは考えたこともなかった。恋の相手は次から次へと現れた。
諒子はいつまでも自由を楽しんでいたかったのである。

だが四十を目前にしたころ、両親が次々と倒れた。
諒子は退職し「笹本」の女将になる決意をした。
諒子には親友が一人いた。
かつての会社の同期、谷川澄江である。
澄江は独身のまま順調にキャリアウーマンの道を歩み、いまや執行役員に出世した。
そんな澄江が諒子にはまぶしい。
だが、澄江は落ち着いた暮らしを手に入れた諒子をうらやむ。
生きる土俵が違うからこそ、女の友情はつづくのだろう。

時は流れ、「笹本」がある商店街に地上げ問題がおこり諒子の周りにさざ波が立ち始めた。
老菓子職人が病気になり彼女のもとに新しい仕事の話が舞い込む。
もう一度社会に出て輝蹴るかもしれないと諒子の気持ちはゆらぐ。

大学時代の友人Sと『をんな善哉』を見た。軽いタッチの芝居でおもしろかった。主役の高畑そのままの芝居といっても良いだろう。小休憩の時、先月は国立小劇場でサミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」を見た話になった。あの芝居そういえば大学一年の時、同級生がやったわねと話題になった。あのときの舞台は「神を待って、待って、神は何時来るのだろう?」という暗い不条理を追求するものだったけど、先月の橋爪功と石倉三郎の「ゴドーを待ちながら」はなんか笑いをとるシーンもあって明るくあれはあれで良かったね、と意見が一致した。

私にも違う人生があったのではと隣にいる大学教授の彼女とおしゃべりしながら思った。

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クレマチス Ville de Lillon(ビル・ド・リヨン)が華やかに・・・


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