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November 2005

November 30, 2005

Sentimental Journey⑫レシフェからサンパウロへ

s-PICT0946s-PICT0951s-PICT0963s-PICT0987s-PICT0988北東ブラジルも今日で最後。すっかり日焼けして腕が真っ赤になりヒリヒリしている。毎日30℃を超えているのだものしかたない。TVの天気予報を見ていたら南のほうは雨が降っているらしい。温度も少し低めの模様。BGMにKITAROのEternal Springが流れていた。

サンパウロ行きのフライトは午後で十分時間があるのでパッキングした後BBOの練習会をのぞく。始め入っていたskypeも調子悪く途中で音が途切れてしまった。それでも練習会を9時過ぎまで見た後、チェックアウトをする前に海岸を散歩することにした。強い風が吹いていた。

10時半、ガララピス空港に到着。チェックインした後、12月4日のリオ行きの便を5日に変更してもらう。サンパウロからヴィトリア行きの時間が夕方の便しかなくなりヴィトリアでの滞在時間が少なくなってしまったからだ。幸運にも変更が出来、さぁ次は電話をしてヴィトリアのホテルを延長してもらわなくちゃ・・・電話はどうやってかけるの?と、カウンターで尋ねると売店でカードを買わなきゃいけないとのことだった。連れ合いはサンパウロから電話したらいいのじゃないと言ったがまだ時間があるし電話して早く決めておきたい。6レアルのカードを購入。公衆電話でお隣のおじさんにかけ方を教えてもらいホテルの予約とヴィトリアの友人アンナそれからサンパウロの友人イクコさんにした。40通話分のカードだったが4通話分だけ残った。すべてうまくいきなんかお腹すいたのでピポカを買う。子供達が小さいころよく買ったっけ!この名前かわいくて好き。ポップコーンのこと。

レシフェ発サンパウロ行きは少し遅れて離陸した。しばらくすると眼下にレシフェのボアビアージェン海岸が!それからマセイオ、アラカジュ、サルバドールまで海岸線を飛行機は飛んだ。きれいだった。

3時間後サンパウロへ。グアルーリョス(Guarulhos)空港にはルイスさん、いくこさん、そしてヒカルドが迎えに来てくれた。’91年にはルイスさんのお兄さんのヒデミさん宅へお世話になりみんなでゴルフに行ったこともあった。そして’92年の2月にヒカルドが日本語の勉強をしに1ヶ月我が家に滞在。以来のお付き合いとなっている。まず空港内のコーヒーショップで久しぶりの再会で話が止まらなくなった。それから夕食を「新鳥」に食べに行くことになった。ここは昔「サントリー」が経営していたらしい。日本でもあまり行ったことのないような高級なレストランだった。目の前の鉄板でブラジル人のコックが手つきも鮮やかにたまねぎ、椎茸、シメジ、アスパラガス、オランダかぼちゃ、もやし、カリフラワー、ブロッコリー、牛肉などを炒めてくれた。おすしもお刺身も日本と変らなく美味しかった。

食後 L'Hotel へ・・・生まれてはじめて大理石のお風呂に入った。うぁ~、ゴージャス!。

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November 29, 2005

Sentimental Journey⑪レシフェ

PICT0683PICT0715s-PICT0883s-PICT0912s-PICT0926s-PICT0931ローズマリーに電話する。彼女とはカンピナグランデに住んでいるころからの知り合い。10時ごろやってきた。お母さんのマルレーニも丁度用事でレシフェにきており再会をした。彼女とはまさしく30年ぶり若いころもすごくきれいだったが今も素敵だ。独身だというので結婚しないの?と聞くと結婚していたけど2年前に別れたという。小一時間ロビーでおしゃべり。今度は「そちらが日本に来る番」というと「行きます」と言ってくれた。

今日も海岸を散歩する。Parque de Coqueirosー椰子の木公園とでも訳すのかアベニーダ沿いに1m位の椰子が植えられておりその横に看板がついている。その看板には色々と説明がある。ある看板にはローマ法王の訪レシフェの記念と書かれていたり、25歳で亡くなった人のメモリーとして両親や兄弟が植えたものだったり、誕生日の記念樹だったりと読んでいると面白い。

その後バスでセントロまで行ってみる。一人1.65レアル。セントロは人の通りが激しい。日本のガイドブックで見たLeite(牛乳)というレストランで食事をすることにした。外の喧騒とまったく異なり中は静寂!築120年だそうで間接照明の店内はやわらかな光がさして今までブラジルで行ったどのレストランよりも格式が高そうだ。ボーイ達もみな長袖の上着を着ている。12時近かったのだがこちらの人にとっては時間が早いに違いない。前菜を食べ魚と海老の煮汁のスープ、続いて前菜がテーブルに置かれた。それを口に運んでいるうちに三々五々客が入り始めた。連れ合いみたいなレシフェと大きくロゴが入ったようなTシャツ姿の人は見かけない。多くの男性は背広にネクタイ姿、格式の高いレストランであることが客の服装からもわかった。伊勢海老のグリルとシーフードサラダそれに温野菜の盛り合わせ。二人で丁度よい分量だった。

その後19世紀半ばに監獄として建てられたというカーザ・ダ・クルトゥーラへ行く。1975年に現在のように民芸品売りの市場になったというから以前来たときは出来たばかりだったことになる。元獄室だったひとつひとつの部屋が店になっており革製品、刺繍入りの洋服、レース編みのクロス、木彫りの置物など北東ブラジルのお土産品がいっぱいある。

そこから歩いてすぐのところにMETROのレシフェのセントラル駅があった。きょうはそれにも乗ってみた。ボアビアージェンと窓口で言っても通じない。通じないというよりそれもそのはずルートマップを見てみたらそこまでまだメトロが開通していなかった!私達が乗りたい南線は二駅さきのImbribieraまでだった。1.65レアル。もうひとつの北線はどんどん電車が来るのにこちらは少ない。15分近く待ってようやく到着。乗車する人も数えるほどだ。Imbribiera駅でエレベーターで降りる。駅員さん?が先に乗っていて「初めてこれに乗りましたか?」と聞くので「はじめてです」と答えると、急に張り切りだして、変電室カメラで24時間防犯のチェックをしている様子とか、安全の為のアナウンスを録音したものとか案内してくれた。貴重な経験をした。

夜の食事はsushibarへ行った。カリフォルニアロールはこちらではアヴォガドではなく代わりにマンゴだった。これはレシフェロールなのでは?ご飯は日本風なお米だった。酢は結構効いている。そこに黒ゴマを置きカニかまとキュウリ、マンゴを入れて巻いてあった。味はまぁまぁかな?

帰り、果物屋さんが開いていたので入る。グラヴィオーラ2個2,520kg11レアルだった。痛まないと良いけど・・・

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November 28, 2005

Sentimental Journey⑩ レシフェ・オリンダ

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s-PICT0709s-PICT0712s-PICT0802s-PICT0805プールサイドのレストラン「アレシフェ」で朝食。初めてポンディケージョがビュッフェに並んでいた。日本で売られているものと違い,中は密にモチモチしていて美味しかった。13年前にレシフェに来たとき領事館の斉藤さんがここのがとても美味しいですよ、と言ってちょっと車を止め、買ってくださったのを思い出した。オリンダに住みブラジルでの父親代わりのような存在だった。彼も亡くなったと聞いている。今日は午後オリンダにまた行く。

朝食後ホテルを出てアヴェニーダボアビアージェンを渡り海岸へ出る。すぐおじさんがやってきて椅子とパラソルをすすめにきた。歩きたいのでとことわると、怪訝そうな顔をした。のんびり海を眺めてボーっとするのがブラジル流なのだろう。砂浜にはすでに色とりどりのパラソルが並んでいる。歩いていると次から次へと物売りに出会う。凧屋さんは自分で上手に凧をあげながら歩いてくる。これってむずかしいだろうなぁ。海風が強いもの・・・ジョンペソアで買った帽子が吹き飛ばされそうになるほどだ。アイスキャンディー屋さん、コーヒーを売る人、牡蠣売りの人、茹でたかにを売る人、海老を売る人も来る。かと思えば生の魚をぶら下げている人もいる。日焼け用のオイルを売る人、サングラスを売る人、帽子を持ってる人などそれぞれ一品というのがこちらのものの売り方らしい。他の人の職域を犯さないのだ。熱い砂浜を殆どの売り子さんは裸足かゴムぞうりで歩いている。その昔子供達が街中でゴムぞうりで歩いていたら、ブラジルでは下層階級の履物だと言われたことがあった。砂浜では別だろうけど・・・私もホテルを出るときは靴を履いてきて砂浜でゴムぞうりに履き替えた。ゴムぞうりって履きやすいのだけれど。

牡蠣売りの人に出会ったとき私は牡蠣を食べようと連れ合いに話したのだけれど嫌な顔をされた。どんなところで洗われてるかわからない。もしおなかこわしたらどうする?大丈夫ちょっとだけ、と7個1レアルというので私は食べることにする。目の前で殻を割ってくれてライムをタップリ搾りいれてくれた。うゎ~!潮の香がぷーんと鼻を突く。美味しい。私の感激ぶりに連れあいも不承不承口にいれた。結局3こづつ食べて1レアル渡した。やっぱりまだ旅の途中だしおなか壊したくないもの。まぁ3個で我慢しよう。満足 満足。

お昼はホテルから5ブロック先のシーフードのレストラン’Ilha da Kosta’へ。何故かCではなくK?なんと鉄火巻きをはじめとして巻物のお寿司が並んでいた。すしバーも隣にあった。なかではどうみてもブラジル人のお兄さんがねじり鉢巻ならぬ、赤い日の丸の鉢巻を締めてカウンターの向こうに立っていた。どんな寿司なのかなあ?

午後はレシフェの旧市街とオリンダのツアーに参加した。2時に小型バスが迎えに来た。すでに10人くらい乗車していた。アルゼンチンの人が多かった。ポルトガル語の説明は彼らにとっては方言の一部にしか聞こえないのだろう。ガイドはゆっくり話したし私でも7,80%は理解した。1週間もブラジルにいてポルトガル語がスムーズになってきた。ブロークンなポルトガル語でもドンドン話してしまう。年の功だ。6時近くにホテルへ戻った。

夕食は近くの中国大飯店で。野菜のチャプスイと豆腐と海老の炒め物それにご飯を頼んだら山盛りのがでてきて辟易!野菜料理はおいしい。最後に御神籤?入りの中国菓子をくれた。

’A sua capacidade de communicacao o ajudara a galgar novas posicoes profissionais'
「貴女のコミュニケーションの能力は新しくあなたの仕事の地位を高めることになるでしょう」

ITCでコミュニケーション技術を学ぶ私にとってこれはピッタリ!嬉しかった。

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November 27, 2005

Sentimental Journey⑨ カンピナグランデ-レシフェ

s-PICT0573s-PICT0606s-PICT0610s-PICT0631s-PICT0636大学の先生からパライバ州の役人になっているSergio Gois が今日はブラジリアへ出張するというので一緒にレシフェへ行くことになった。パライバ州のカンピナグランデから250km距離がある。さしづめ東京から仙台といったところだ。その昔まだカンピナグランデに住んでいたころ、この町にはよく遊びに来ていた。2年間で1度だけリオから日本の先生がやってきて子供達が勉強の指導を受けたのもこの町だった。そしてお正月のお餅もここでしか手に入らなかった。車で4時間ちょっと。

Sergioはグァララピス(Guararapes)空港で降り、私達はすぐ近くのレシフェのボアビアジェン(Boa Viagem)海岸のホテルへ。懐かしい!空港からボアビアジェン海岸へ出るところ左手に広場、右手にボアビアージェンホテルがある。このホテルにも泊まったことがあったっけ。海岸と平行してアベニーダボアビアージェン(Avenida Boaviagem)がある。ホテルやマンションが立ち並んでいる。ここレシフェは今ドンドン30階以上ものマンションが建てられているという。地震がないので構造上もあまり問題がないのだろう。

アベニーダボアビアージェン3722番地に私達が泊まるInternational Palace Hotel があった。インターネットで予約したホテルだったのでどうなのかなぁとちょっと心配だったが、ちゃんと名前がフロントのPC上にありホッとした。部屋は15階ベランダから海が見える。PCも常時接続できる。すご~い!インターネットで予約したのと寸分変わりがなかった!来る前にサイトを見たのだけれどここブラジルはなかなかこういうホテルがなかった。Quatre Rodasというブラジルで有名な毎年更新される旅行書でwifi接続可能となっていてもホテルのサイトに入ると有線となっていたり、それもなかったりまだまだPCはこの国では活用されてないのだろう。

荷をといてからアベニーダボアビアージェン32番地のパハシャシャ(Parraxaxa)という有名なレストランへ。賑わっていた。レシフェの郷土料理をはじめとして北東ブラジルの料理が名前つきでビュッフェ形式で並んでいる。こういうレストランが旅行客には一番。百聞は一見にしかず。名前がついていてしかも目で見ても何で出来ているのかなと思うような料理も沢山並んでいる。ガルソンたちは地方独特の格好をしている。

食事を終えてからタクシーでボアビアージェン広場へ。アベニーダボアビアージェンを32番地から5000番地まで上って?きたことになる。今日は日曜日なので広場では民芸品が売られている市が立っていた。そこをぶらぶら眺めてから海岸通りを歩いてホテルまで戻る。沢山パラソルが立ち並び人々が海岸で遊んでいた。

夜はレシフェで一番大きいショッピングセンターへ出かける。マップもないようなのでただウロウロして海老のから揚げを食べて帰る。今までは夕方8時9じから会食ということが多かったので一日中休むことなく動いていた感じだった。今日は早く休むことにした。

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November 26, 2005

Sentimental Journey⑧ カンピナグランデ

s-PICT0495s-PICT0497s-PICT0512s-PICT0519s-PICT0524s-PICT0552誰も他に泊まっていないのかしら?と思っていたが朝食のレストランへ出向くと結構宿泊客に出会った。今日もタピオカを食べようっと・・・タピオカは人によって作り方が違うのか微妙に味が違う。今日のは上出来!外がパリッとしていてなかはもちもちとしている。テーブルに出来上がったタピオカを持ってきてくれて何か欲しいものはないか足りないものはないかとたずねる。砂糖抜きのオレンジのジュースを頼んだ。コップになみなみと注いできてくれた。

インターネットに入りたいのだがとホテルのフロントで告げると社長?(dono)が事務所のなかに招きいれ使っていいよ。という。でもさすがに私のPCを繫ぎたいとは言えないのでメールだけチェックして終えた。

ホテルのすぐ近くにインターネットの店を見つけたのでPCをもって出かけた。大きな部屋にPCが10台くらい並んでいる。結構盛況を極めていた。1時間2レアル(120円)。有線だったがskypeをした友人の話によると一言一言途切れ途切れに私の声が聞こえたそうだ。私のほうはよく聞こえた。

ジェッツリオバルガス通りをセントロへ向かっていくと庭先に葉っぱが斑入りの珍しいハイビスカスのきれいな家を見た。今日はおばあさんがいたのできれいですね。と声をかけるとすっかり気にいられて家の中へ招じ入れられた。居間の中はすっかりクリスマスでとくにアイスキャンディーの棒で作ったというイエズスさまの生まれた馬小屋を模したものやキリストの茨の冠をかぶった絵が見る方角によって目が開いたり閉じたりして見えるのを誇らしげに見せてくれた。来年の1月1日で81才になるというおばあさんだった。

市場へまた出向き真っ赤なバラの花を買う。最初に1本貴女にプレゼントするよ。と言われて1本1レアルだというのをさらに6本5レアルにして!と負けてもらった。

日本からのお土産やらバラの花束を持ってお昼からはセルジオ・ゴイスと二エージャの家へ招かれた。当時セルジオは大学の先生で連れ合いのカウンターパートだった。二エージャは大学の英語の先生だった。今はセルジオは州の役人になっている。二エージャは大学の先生で相変わらず忙しそうだ。彼ら一家とも30年来の付き合い。私達がカンピナグランデにいるときに生まれたセルジーニョはもう結婚して孫が生まれていた。

夜はまたジュリオ、セルソ一家と会食。

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November 25, 2005

Sentimental Journey⑦ ジョンペッソア-カンピナグランデ

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s-PICT04845時起床。今日は30年前2年間住んだ同じパライバ州のカンピナグランデへ移動する日なので早く目が覚めてしまった。9時半に大学の車が迎えに来た。乗ったのはシュリニバサン、インド人の水理学の教授で40年近くこのカンピナグランデにいる。もう一人は2度日本に来たことがあるというヒカルドこの人も大学の先生らしい。2時間の行程中最初はヒカルドの日本での生活を日本語で会話していた。そのうちシュリニバサンとヒカルドが猛烈なポルテュゲスでしゃべりだした。また始まったなぁ、と私は外の延々と続くサトウキビ畑を眺めながらウトウトした。シュリニバサンは連れ合いの同僚でカンピナグランデで暮らしていたころからの家族ぐるみ付き合いだったし、大学の代表として日本にきたときも東京を案内した。ヒンドゥー語は4つ英語ももちろん、ポルテュゲスもぺらぺらだ。

カンピナグランデのMarc Center Hotelに着いたのは11時半を少し回っていた。ジェッツリオバルガス通りに面していた。ブラジルの通りの名前はジェッツリオバルガス通りのように過去の大統領の名前をとったものもある。荷をほどいてすぐ町へ出かける。最初は昔よく歩いた町の通りの位置関係がつかめなかった。一番センターのマッシェルピニェイロ通りがわかるとなんとなく思い出した。ペドローザという本屋さんどこだっけ?子供達が散髪してもらっていた理髪店は?palomoビルの歯医者さんは?なかった・・・!

歩きつかれてホテルに戻るとすぐジュリオが迎えに来てくれた。親日家のジュリオはJICAから派遣されていた代々の先生達の面倒を実によくみてくれた。私達も週末に家に行ったり食事に出かけたり息子のセルソの結婚式で代母になったり連れ合いは毎年ブラジルに来るときもかならず訪ね行き来している。ロビーに長男のアントニオカルロスと長女のリヴィア(10才)と一緒に来てくれた。ジュリオは85才の今は足が少し弱っているが元気で、私たちに行きたい所はないかと聞いてくれた。アントニオカルロスが車を運転してくれ、リヴィアはおじいちゃんを一生懸命いたわり手を貸していた。

昔住んでいたマンションの2軒おいた隣にあるマルレーニを訪ねた。彼女は私の洋裁屋さん?―相応しい言葉が見つからない―服を縫ってくれたりもしたが話しに行ってお茶を飲んだり仲よくしていた。彼女も元気だった。涙が出るほどうれしかった。

そのあとは連れ合いが老後?建設したかった土地を見に行った。センターから車で10分くらい1hもあるのだそうだ。カジューの木とやしの木が植わっていた。今は丁度カジューの季節なんだけど、実はなくなっていた。

ジュリオのセンターにあるマンションを訪ねた。昔はプールのある広い広い屋敷に住んでいたが今はマンション暮らし。治安上最近はマンションや塀で囲まれたコンドミニオに引っ越す人が多いという。ジュリオは奥さんのナザレと9階に住んでいるのだが、1Fにはプールもあるしブラジル人が大好きなパーティースペースもある。サッカーが大好きなジュリオらしあちこち行ったCOPAの記念品、日本を訪ねたときのお土産品の数々が所狭しと飾られていた。

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November 24, 2005

Sentimental Journey⑥ ジョン・ペソア

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朝、ホテルのすぐ裏側のタンバウ海岸をアレイヤブランカ海岸の方へ散歩する。アレイヤブランカ海岸というのはポルトガル語で白い砂、白砂という意味。日本の海岸よりずっとずっと細かく白い砂浜が延々と続く。ところどころに小さい白、緑、黄緑や赤、茶色の海草が打ち上げられている。天草ってこれなのかなぁ?そのまま朝食のサラダで食べたらおいしそう!貝殻はあまり大きくないのが裸足で歩くのを邪魔しないように転がっている。

 ♪sur le sablle les pas des amants desunis・・・

昨日行った南アメリカ大陸の最東端の灯台も見える。その先までも海岸線は続く。

お昼は初めてプールサイドのレストラン'Olho d'Agua'(水を見ながら)で。ビュッフェ形式の料理には野菜がいっぱい。ブラジル人は一般的に野菜の摂取量が少ないように思う。朝はこのホテルのビュッフェに生野菜はまったくない。強いてあげればマカシェーラ、サツマイモの茹でたの位。

午後、carrefour へ。日本にも以前は幕張にあった、フランス系のスーパーマーケット。グラヴィオーラのジュースの壜は日本に送るのは難しいとのこと。ちょっと残念。Seu Jorge のCDはここでは品切れ。なにしろここで出会ったブラジル人は誰も彼のことを知らなかった。あのキューピーのコマーシャルの音楽素敵なのに・・・ まあ日本で買った’CRU’があるからいいかと思う。Mp3に入れて聴いている。

夜は9時からタンバウホテルから6kmカーボブランコへ行ったところのPasso Dos Leaoesという宴会場でパーティに参加した。1000名近い人々が三々五々最後の別れを惜しんでいる。宴たけなわになると、Rioからきた楽隊がステージでブラジル音楽を奏で、フロアーではみなダンスに興じていた。私は色々な珍しいオードーブルを食べた。

12時過ぎホテルへ戻る。

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November 23, 2005

Sentimental Journey⑤ ジョン・ペッソア

PICT0265PICT0270PICT0276PICT0296PICT03147時過ぎ起床。プルメリアの良い香りを嗅ぎ小鳥のさえずる声を聞きながらレストランへ向かう。タピオカにココナッツを入れたのをまず焼いてもらう。ノルデステだなぁ。ブラジルの南の方ではこれは食べない。

skypeでK子さん、M子さんと話す。今日は練習会が今終わったとのこと、もう少し早く入れば少し練習出来たのに残念!1時間インターネットをしてからプールで泳ぐ。

お昼はセルソの家へ。パンケーカ(ひき肉を煮たものを甘くないクレープで包んである)スパゲティ、フェージョン、サラダ、ジャガイモのピューレをいただく。

午後、子供達はIPEI(Instituto Pessoense de Education Integrado)へ。上の二人は今日は体操の日なのでbagを持たずにマギナの運転する車で出かけていった。いってまいりま~す!と、もちろん日本語で言い残して・・・

男二人は学会へ。私はしばらく雑談してからマギナとマギナのお姉さんと3人で民芸品のお店へ出かけた。帰り道喉が渇いたのでアイスクリームボックスを覗いた。そしてとうとう30年前 Clube Campestreで気に入っていたmangaba(実際の果物は見たことはない)のアイスキャンディを食べることができた。こんな味だったかなぁ?ちょっと甘みが強いような気もするけどこれに間違いない。ブラジルに来た目的のひとつが達成された。

夜はMomijiで会食。子供達は3人で食後、言葉遊びをしている。アルファベットの文字ひとつ選びその文字で始まる動物を言う遊びだ。言うことが出来なくなると親達のほうへ助け舟を出してもらいに来る。かわいい!

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November 22, 2005

Sentimental Journey④ ジョン・ペッソア

5時起床。小鳥の声で目を覚ます。朝食はプール横のレストラン。またタピオカを作ってもらった。今日はココナッツ
を入れてもらった。
PICT0250PICT0251PICT0256PICT0259午前中連れ合いはセッションがあるというので私は2時間インターネットをした。メールのチェックをした後skypeでU子さん、M子さん、Yさん、Tさんと話す。いつもと同じように話せる人が殆どだった。

その後redeに揺られながら本を読む。帚木蓬生「カシスの舞い」

エミコさんとホテル近くのBahama'sで食事。海を見ながら、カニのスープ、タラのコロッケ、サラダをいただく。
エンソパーダデカランゲージョはその昔ジョンペソーアに来ると家族でよく食べにきた。
懐かしい料理の一つだ。

連れ合いは仲間つくりに忙しいらしい。


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November 21, 2005

Sentimental Journey③ ジョン・ペッソア

PICT0172PICT0181PICT0189PICT0204ジョンペッソアのフェイラ(市場)に連れて行ってもらう。大根さんはにんにくを1KG6レアルで買っていた。新しいものでほんとに美味しそう!日本では青森産ので1個200円というとびっくりしていた。グラビオーラ3レアル、マンゴロッサは5個で2レアル安いなあ!サンダル6レアル。

その後、懐かしいジョンペッソアの隣町カベデロへ。ここは昔捕鯨の港だった。いまは残念ながらそれもなくなっていた。昔は家もあまり建っていなかったがアパートも沢山30年前の面影はまったくない。
この近くに蟹のスープで美味しいのがあったなぁと思ったけれどどこということもできない。

お昼は'Momiji'で牛肉と鳥肉、海老の入った焼きそば。

午後は一人ぶらぶらと水着を買いに行く。日本を出るとき寒いせいか水着を持って行こう
という気が全然起きなかったけれどプールやら海を見ていると泳ぎたくなる。
海水着とパンツが共になっているのを買った。早速誰も泳いでいないホテルのプールで泳いだ。一人で悠々と・・・小1時間も泳ぎ部屋へ帰る。連れ合いはまだ学会に参加中らしい。

夜 この地方特有のダンス「フォフォ」のナイトクラブへ。
入場料を支払い中に入るとステージではギター、カスタネット、太鼓を持った人それに歌手がいる。
スピーカーのボリュームが最大限にあげられており会話不能。
歌詞はところどころ単語の切れ端がわかるくらいで内容はまったくわからなかった。

しばらくするとフロアでダンスが始まった。男女二人の絶妙な足の動きと上半身のゆれが見ていても
楽しい。一組の男女は50才くらいの男性とどうみても30才前後の女性なのだが妊娠7~8ヶ月、
おなかの赤ちゃんもさぞフォフォを上手に踊れるようになるだろうなぁ!

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November 20, 2005

Sentimental Journey② ジョン・ペッソア

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PICT0106PICT0137PICT0155カンピナグランデに住んでいたころアパートの1Fに住んでいた大根さんを訪ねることにした。このホテルから徒歩10分。海岸沿いの道を歩く。サングラスをうずたかく積んで売る人、アイスキャンディ屋さん、ココナッツのジュースを売るキオスク浜辺ではビーチボールに興ずる若者達。海の上にはキラキラとブラジル凧が風にたなびいている。あまりにも太陽が強くて帽子(6レアル)を買う。ところが風も強いため頭から転げ落ちてしまう。

大根さんは日本でNECに勤めていて技術を買われてブラジルのTELPAという電話会社で働いていた。私達が知り合ったのはカンピナグランデ。3人の子供とt住んでいた。そのころはまだ電話会社に勤務していた。ところが13年前来たときはすでに会社を辞めカンピナグランデでレストランをやっていた。

5年くらいブラジルを楽しもうとやってきたらしいがこの地の居心地の良さにとりこになったといっていた。今はこのパライバ州の州都ジョンペソアでレストラン「Momiji」を経営している。120人くらい入れるお店だ。

着いたら丁度大根さんがスーパーへ買出しに行くというところで早速同行させてもらった。
久しぶりの’Bom Preco’だった。カンピナグランデにいたころよく行ったっけ。
東北ブラジルはあちらこちらにこの「ボンプレッソ」直訳すると「良い値段」とでもなるのかな?

果物・野菜売り場へ直行!一番興味のあるところだ。日本では見かけない果物が
目白押し・・・野菜は日本の白菜、大根、京芋などもある。
私はコービを買いものかごへ。Momijiで炒めてもらうことにする。
コービというのは長さが30cm位で緑の濃い、ちょっとキャベツに似ている葉っぱでそれを細かく刻んでニンニクで炒める。日本でも群馬県の大泉あたりのスーパーでは売られているらしい。
このコービのソティとフェージョンと一緒に食べると最高においしい。

Momijiに戻ってラゴスタ(伊勢海老の一種)の揚げ物、先ほど買ってきたコービと
フェージョンをいただきながら昔話やらお互いの子供達の話に花が咲いた。

夜はセルソ一家と Praia de Jacareへ。Praiaというと海辺を想像してしまうのだが、
???河の岸辺。Jacareとはワニのことだが巨大なワニの像があるだけだった。
そこから対岸へ落ちる日没が美しいらしい。今日は雲が出ておりどうかなと思っていたが
時間が経つにつれて対岸の雲が紅色にそまり変化していく様はすばらしかった。

そしてラヴェルの曲が・・・
なんと2そうの舟に乗って楽師がバイオリンを弾きサキソフォーンを吹きながらやってきた。
どうやら陸には楽隊がおりそこへ合流するというパフォーマンスらしい。

6時きっかりにはアベマリアが・・・ここではアベマリアが6時の曲らしい。
あちらこちらでこのメロディをみんな十字を切りながら聞くとマギナが言っていた。

セルソの3人の子供達はまだ目が固い。ここでは二部授業制で子供達は午後の部へ通学
しているので午後から夜にかけては強いらしい。

夜、カクテルパーティがあったのだけれど私は眠くて欠席。

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November 19, 2005

Sentimental Journey① 成田ーロス-サンパウロ-レシフェ-ジョン・ペッソア

PICT0135PICT0119成田空港を1時間程遅れて出発。

LAX到着は予定とおり9時間半後transitルームに入るのも入念なチェックがなされた。
査証免除の書類を審査官に提出。両方の人差し指の指紋を採られた。その後眼鏡をはずして写真を・・・

これが意外に時間がかかった。transitを1時間半ということだったが、Duty Freeを少しのぞいたらもう搭乗時間
3度目の食事。和食をチョイスする。食器も磁器のもの。お箸もついてくる。

前菜 海老蒲鉾。蟹足揚げ、鶏のつくね、うなぎ海苔巻き、春巻き、キュウリの酢味噌和え
酢の物 ホタテのねぎ酢みそあえ
煮物 スモークサーモン 薄切り晒したまねぎ わさび レモン
和風サラダ 野菜と揚げ豆腐のあんかけ
お凌ぎ レイセイ中華麺 薬味 海苔
お椀  コンソメ
台の物 牛ヒレ肉の網焼き 新たまねぎ 蜂蜜ソース 大豆ミートソース和え 豆腐 ブロッコリー キノコとユッカヌードル、ご飯

ヴァリグのメニューはところどころ間違っているがその通り写して見た。半分ぐらい食べた。

Icaro という雑誌を読む。Carlos Moraes という料理人のRisotoの話が出ていた。

Rosoto de Tomates Secs、Rucula e Mussarela de Bufala 非常に美味しそう!

La Risotteria Alessandro Segato(Rua Padre Joao Manuel, 1156,Sao Paulo,tel:11/3068-8605)
材料  320g 米 300G モッツァレッラ 150g ドライトマト 150g ルッコラ 6ヒ バター 4ヒ オリーブオイル     玉ねぎ 1ヒ 2/1 白ワイン 
作り方 お鍋を熱くしてオリーブオイルを温め大匙1の刻み玉ねぎを黄金色になるまで炒める。75gのドライトマト     75gのルッコラを2分間炒める。320gのお米2/1カップの白ワイン14/1のスープ、バター、チーズ、半量の
     ドライトマトを加える。

食べてみたい。

ブラジルは夏時間なので日本とは11時間の時差がある。時計もブラジル時間を選んだ。さぁ~久しぶりのブラジル。何が待っているかなぁ

サンパウロは曇り21℃と機長のアナウンス!ロスから丁度11時間半で到着だった。
国際線を降りターンテーブルのトランクを取りドルをレアルへchange。1ドルは2.1レアル。

旅は続く・・・
国内線でPernambuco州の州都レシフェへ。21番の待合室は何故かフランス語が行き交っている。
予定出発時刻をとっくに過ぎている。そのうちにほぼ同時間に出発するフォルタレーザ行きと
レシフェ行きの乗客にコールがあり列を作りはじめた。っているのになかなか前進しない。
隣のマダムに話しかけてみる。このフランス人たちはブラジルを占領しに来たのかと?
返事は?私たちは学会でレシフェに行くのよ。へえ何の学会?眼科!

フォルタレーザ行き、最終コール!パラシュートで飛び降りたいわねとおっしゃる。結局1時間も遅延して出発。

飛行機はフランス人とブラジル人、二人の日本人で満員。

途中飲み物と軽食のサービス。軽食のサンドイッチがおいしかった。3枚の薄切りパンの
間にハム、トマト、モッツァレッラチーズの薄切りがはさんであるだけなのだが・・・
この三角のパッケージがしゃれている。東北ブラジルの独特の粘土の人形でカルナバルの
牛だ。30年前来たときカルナバルの人形たちを買ったのだけどあれはどうしたかしら?

きっかり3時間後レシフェに到着。30℃。空港の荷物のターンテーブルに私たちの荷物は
最後になっても出てこなかった。クレイムタグを見せるとどうやら目的地ジョンペソアに行くべく
手配されていたらしい。ジョンペソアの次の便は夜11時なのでそれに乗るのは諦めて迎えに
来てもらうことになっていた。セルソとマギナの熱い抱擁に出迎えられ安心した。

セルソは長男の学校友達一緒に1年ほどセプキという学校に通っていた。
1991年8月8日、13年前の彼らの結婚式に私も花婿側の代母結婚証明書にサインをしたことを
思い出した。その3年後1994年に二人は愛媛大学に博士号を取るために日本にやってきた。
そして10年も松山に住み男の子3人ももうけブラジルへ帰っていった。

途中彼が一年前建てた家に立ち寄る。高い鉄の柵に囲まれている400区画くらいの分譲地だそうだ。
8割方家が建っている。門扉のところでチェックを受け自動的に門扉が開く。
それだけブラジルは今治安が悪いということなのだろう。
しかしそこに入ると個々の家に塀はない。あっても植物で区画されているくらいだ。
彼の家は広い敷地の上に大きな家が建っている。だ。二区画分あるという。
日本から持ってきた品々が所狭しと並んでいる。東京の我が家よりずっとずっと日本的だ。

ジョンペソアのホテルタンバウに着いたのは夕方の5時そろそろ陽が落ちかけていた。
彼らと夜8時食事に行く事を約して部屋に入る。途端に眠くなり7時半まで眠ってしまった。
夜は総勢10人で食事に行く。マンガイ(Mangai)Mangaiとは小さなものだけを売る
市場という意味があるのだそうだ。なるほどリジョナルな食事がブッフェ形式でところ狭しと
並んでいる。久し振りの味を堪能した。

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November 18, 2005

一杯の砂糖水を作るには

s-P1010036「一杯の砂糖水を作る場合とにもかくにも砂糖が溶けるのを待たなければいけない。」こうベルグソンが言ったそうだ。今朝NHKの連ドラ「風のハルカ」を見ていたら主人公の水野ハルカが勤めている旅行会社の支店長が初添乗のハルカの失敗をなぐさめてこの言葉をかけていた。学生時代このフランスの哲学者アンリ・ベルグソンとテイヤール・ド・シャルダンに悩まされた私にとってもこれは知らなかったけど、私もようやく砂糖水が出来てきたのかなと思うような年齢になってきた。

それにしても火曜日の石原都知事のスピーチは「結婚は賭けである」とベルグソンの言葉から引用したそうだが、その言葉の真の意味を知りたい。

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November 17, 2005

明日からブラジルへ

朝からトランクを持ち出して荷物を作る。地球の裏側ブラジルは気候は夏。と言うことは衣類が少なくてすむので良い。でも3週間も・・・となるとなんかあれやこれや持ちたくなる。トランクは8分通りつまってしまった。一番の心配事項は家ネコのこと!私たちがバタバタしているので落ち着かないらしい。トランクの上にデンと座って連れて行って!というような素振りも見せる。イイ子でお留守番しててね。

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九段にて(BlogPet)

四谷八竹によってちらし寿司を買う
四谷八竹によってちらし寿司をBLOGしなかった
今日ayaたちが、大きい役員と寿司をBLOGしなかった
今日ayaたちが、大きい役員と寿司を買う
顔なじみのお................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................
と、ayaは考えてるはず。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「Peter」が書きました。

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November 16, 2005

2005アサガオも終わり?

s-P1010017朝方は寒かったが日中はおだやかな小春日和だった。家を取り巻いていたアサガオのネットをまだ花も咲いていたのだが思い切って片づけた。そしてシュロ縄に絡まっていたアサガオでカバーを編みペットボトルにかぶせアサガオを活けた。しばらくは家の中でアサガオが楽しめそう^^

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November 15, 2005

さようなら。ディック・フランシスと一緒に・・・

110時過ぎ町屋駅に降り立った。都電荒川線沿いにバラが植えられており小さなバラ園となっていた。晩秋というのに赤や黄色のバラが美しく咲いていた。今日は叔父の告別式だった。5年くらい前まではゴルフに連れて行ってくれたりして、かわいがってくれた叔父ではあったが高齢だったし、仕方なかったのかなぁと思っていた。

控え室で棺に入れるモノを従兄妹が袋から出したとき、私は涙が止まらなくなった。その中の一つにディック・フランシスの競馬シリーズがあったからだ。毎年年末に早川書房から出る新刊を私に送ってくれていた。英国が好きな私、舞台が英国で主人公は全て英国紳士。事件の舞台は競馬場だったり、厩舎だったり、なにしろ競馬が必ず出てくる。それで競馬シリーズというらしいが実際にはシリーズではない。それがきっかけで、ミステリーチャンネルのこのシリーズも私は好んで見ていた。

帰り上野の都美術館でプーシキン展を見た。19世紀末から第1次世界大戦までの短期間に、ロシアの実業家シチューキンとモロゾフの二人が精力的に蒐集したものであるとのことだ。ルノワール、マネ、ピカソ、セザンヌ、ゴーギャン、ルソー、ドガ、シスレーなどいい絵が沢山あった。特に印象的だったのはやはりマチスの金魚、意外に大きなキャンバスに描かれていた。まん中の水槽で泳ぐ金魚の他まわりの植物は平板に描かれていた。それがまた対比をなしておりおもしろい構図だなと思った。他に目を引いた作品はPaul-Cezar Helleu の毛皮をまとう女 -多色ドライポイント(4色刷り)毛皮の美しさが見事に描き出されており素晴らしかった。


http://www.asahi.com/pushkin/topics/topicsbn.html

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November 14, 2005

帚木蓬生氏

TVを見ながら遅い朝食を摂っていると「我が心の旅」が始まった。中年の精神科医の旅人がフランスのマルセイユへ sentimental journey だ。若いころ一年間留学していた大学で世話になったPierre ? 先生の自宅を訪ねるところから話は始まった。先生は入院中らしく家族が応対している。なんて感じの良い人だろうと、見入ってしまった。フランス語もとても良く話している。恩師に自分の本も寄贈しているらしい。作家であることもわかった。精神科医で作家?なだいなだじゃないしねぇ。北杜夫でもないし・・・

帚木蓬生氏だった。へぇこのひとだったのか?と急に親しみが沸いてきた。つい先頃「三たびの海峡」を読んだ友人が、第二次世界大戦中の朝鮮人強制連行を扱った難しい題材の小節だったと聞いたとき、そういうテーマの本は読みたくないなぁと正直思った。東大の仏文を卒業後、TBSに2年つとめた後、九州大学で医学を学び精神科医になったらしい。だからフランス語も上手なんだ!アクセント、イントネーションがフランス人と変わらない。

急に読書欲がムラムラしてきた。午後から新宿へウォーキングかたがた出かけ紀伊国屋で帚木蓬生氏の文庫本を6冊買ってきた。地球の裏側で読むのが楽しみ。

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November 13, 2005

移民政策

s-PB130001日本では高齢化、少子化が進み、働く人が少なくなり、ブラジル、アルゼンチン、ペルーの日系の人も既に沢山働いているが、さらに海外からの助っ人をいれようとしている。そんな折りフランス各地での暴動事件にはビックリした。今日のフジテレビの「報道2001」ではフランスと英国の移民対策をフランスは同化主義推薦(つまりフランス語を話しフランスにとけこむようにする)かたや英国は民族文化尊重(移民してきた人の文化を尊重する)と違いを述べていた。なるほどと思った。フランスにとけこんでも貧困にあえぐ人はあの暴動をおこすことになったのだろう。ヨーロッパではドイツのトルコ人移民の問題もあるし、単一民族と思っていた日本もこれから色々な問題が起こって来るに違いない。

私と親しい日本で働く日系ブラジル人のこども達は一度も母国を知らず、日本の小学校に通い母国語より日本語が既に達者になりつつある。このこども達は将来どうなるのだろう。

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November 12, 2005

ビオラ

s-PB110016すっかり冷え込むようになった。でもベランダにおいてある8月16日に蒔いたヘブンリーブルーとブルースターは元気よく花を咲かせている。花芽もたくさんある。アサガオのプランターも片づけてビオラも植えたいなぁと思っていたら植木鉢の間からビオラが顔をのぞかせた。蒔いた覚えはないのに去年の株から自然発生したらしい。私は種から育てることは諦めていただけにすご~く嬉しい。これはハイホーかしらん?

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November 11, 2005

新聞のミカタ

s-s-PB1100174チャンネルの朝のニュース番組「ズームイン!!SUPER」で6時45分頃、私の大好きな辛坊治郎氏の「新聞のミカタ」がある。阪神びいきの辛坊さんではあるが、爽やかな語り口でニュースの解説をしてくれる。今日の最後の新聞の解説はインターネットでショッピングのクレームをするメールを送り、ネット上のオーナーがその添付ファイルを開くとIDやパスワードを解読するスパイウエアが働く仕組みらしい。しかもインターネットで買った銀行口座(そう言うモノがあるということも知った)へ振り込ませるという非常に複雑な手口も横行しているという。それも他人の無線ランでネット接続するらしい。また金融機関を装ってインターネットバンキングの利用者にスパイウエアなどを組み込んだCD―ROMを送りつけ、預金を不正に引き出す事件も報道されていた。

もっともっと頭を働かせてあの手この手で悪事が増えて行くに違いない。あちらこちらのネットでお買い物をしている私としてはいつの日にかIDやらパスワードが盗まれて、わずかな貯金が0円にと言うことにならないといいが・・・

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November 10, 2005

九段にて

九段で役員会が月1度あり出かける。四谷八竹によってちらし寿司を買う。顔なじみのおかみさんに「久しぶりですねぇ。」と声をかけられた。前は毎月寄っていたのだけれど、九段に「福槌」(前の有職)ができてからあまり行かなくなっていた。

役員会も無事終わり「花田」に女3人で寄った。ひとしきり陶磁器を眺めてからお抹茶をいただく。お菓子は宝来屋の「かぼちゃまんじゅう」。お昼はボリュームたっぷりのちらし寿司でおなかいっぱいだったのに、こういうのは別腹ね、と話しながら美味しくいただいた。

例の北関大捷碑(豊臣秀吉が朝鮮半島に送った兵を現地の義兵が破ったことを記念して現在の北朝鮮の咸鏡北道吉州付近に立てられ、日露戦争中の1905年に日本に持ち込まれたとされる石碑)どうしたかなと靖国神社にも寄ってみたがもう既に韓国へ移送されたらしい。落ち着くべくところへ戻っていったのだろう。それにしてもどうして靖国神社に置かれていたのだろうか。

帰ってからネット検索してみたらソウル市内に新しく国立中央博物館が10月28日オープンし目玉として「北関大捷碑」を一般公開しているという記事が出ていた。と言うことは11月5日にも見ることができたんだ。行ってみればよかった。

http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/kokusai/20051028/20051028a3920.html

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ソロモン流(BlogPet)

今日はソロモンで大きいソロモンをBLOGすればよかった?
友人からTVの「ソロモン流」
という番組で水野薫子さんというジュエリーデザイナーの..................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................................
と、ayaが考えてるみたい♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「Peter」が書きました。

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November 09, 2005

風邪かしら?

朝から喉が痛む。プロポリスのスプレーをシュシューとなんども喉へ吹きかける。ビタミンCの顆粒状のも何袋も飲んでみた。午後から友人が持参したブラジルの未成年者の旅券発行申請及び旅行許可権限申請委任状の書類を作り直した。葡語と日本語の訳が一枚の紙になってなくてはいけないらしい。これで彼女の甥っ子達が日本にやってこれると良いけど。

夕方近くには鼻水が・・・風邪かなぁ?今日は早寝しようっと。

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November 08, 2005

ソロモン流

友人からTVの「ソロモン流」という番組で水野薫子さんというジュエリーデザイナーのジュエリー素晴らしかった。是非本物を見てみたい。一緒に行きませんか?というお誘いを受けた。場所を聞くために電話をしたら、何日にいらっしゃいますか?TVでご覧になったものは貸し出し希望が多いのでよろしかったらお取り置きしておきましょうか?とのことだった。今日は楽しみにしていた。

地下鉄の六本木から外苑東通りを東京タワー方向へ、待ち合わせの時間には早いのでウィンドウショッピングをしながらゆっくり歩く。私の大好きなゴトウフローリストものぞいた。すっかりクリスマスのデコレーション。そして店内もバラをはじめとしてカーネーション、アマリリス、ダリア、シャクヤク、アスチルベ等々赤い花が多い。その花達はこんな花があるのかと思うほど見事な大きさと長さだ。酔いしれてしまうようだった。

キャンティー飯倉店で待ち合わせランチしてから出かけた。お隣の建物の1階が薫子さんのギャラリー!私は「ソロモン流」を見ていなかったのでDVDを見ることから始まった。ミラノと六本木に住居と事務所を持ちジュエリーデザイナーとして活躍している様子がうかがい知れた。

Gallery KΛOLVKOは大きくはないスペースのギャラリーだが左半分が鏡で覆われているのでとても広く感じる。天井からムラノ島で購入したというステキなシャンデリアが輝きショウケースにはダイヤモンドを始めパライバ、ルビー、翡翠などの貴石を使ったジュエリーと珍しいブラックゴールドなるゴールドを使った指輪が・・・十二分に目の保養をさせていただいた。

http://www.kaoluco.com/

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November 07, 2005

歯科と婦人科

朝8時15分家を出る。雨もあがって雲一つない青空、風がやさしく吹いている。気持ちいい朝だ。昨日はソウルだったのに今日は東京、またいつもの生活がもどってきた。歯科医院へとなんかルンルンと足を運ぶ。通りの銀杏並木はソウルのように真っ黄色でない。季節が遅いのだろう。

検診台に座るとまず助手の女性がポカンと口を開けた私をのぞく。あらピンクのマスク。「可愛いですね。」とモゴモゴ話す。「ここは女の子はピンク、男の子は空色です。」なかなか良いな。町を歩くのにピンクと空色のマスクは気持ち悪いけど・・・

午後からはお茶の水のJ医院の婦人科へ。ここは患者の名前を様付けで呼ぶ。ちょっとこそばゆい。予約が1時半だったので着いてすぐ呼ばれた。6年前に子宮ガンの手術を受け検診を今まで年二回受けてきた。今年から年1回でイイですとのこと!やったぁ~。でも他の検診も必ず年1回は受けて下さいと釘を打たれた。今日の検査料金は12000円也。これって保険がなければ何倍もするのだろう。

年を重ねてくるとあちらこちらがたが来て修理工場へ通わなくてはならない。

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November 06, 2005

ソウル ②

昨日も夜遅くて朝起きられるかなぁと心配だった。6時10分にホテルのロビーに降りてリムジンバスを待たなければいけない。でも心配はなかった5時頃プ~ンと起こしにやってきてくれたモノがいた。なんと蚊だった!着いた時にも2匹いて、それを退治したのでこれで夜は悩まされることはないと思った。私はコレに弱い。夜、蚊の気配を感じると起きだして電灯をつけ退治しないと眠れない。今年東京では全然蚊に悩んだことはなかった。それがソウルで・・・このホテルはソウルでも20本くらいの指に入るアコーズ系のホテルである。泊まったのは12階。暑いしかといってエアコンを入れるほどでもないので窓を開けて風を入れたのがいけなかったらしい。でも早く起こしてもらったのでお風呂ゆっくり入れた。なんか体臭が変わった気がして・・・

ホテルの外に出ると雨がしとしと降っていた。この雨でこれからソウルは寒くなると言う。シーラホテルを始め最後にヒルトンでお客をピックアップして7時近くになると雨も上がり白々と夜が明けてきた。窓外の景色を見ながらMP3を聴く。いつの間にかランダムに入っている。K♪さんのピアノ、'Je veux etre aimee par vous' 'Just walking in the rain''Hawaiian Wedding Song''Sentimental Journey''I left my heart in Sanfrancisco' 朝早いのでリムジンバスは速い。1時間位でインチョンに着いた。

s-PICT0078s-PICT008110時発のアシアナ便に乗る。アシアナ航空のサービスは良い。食事も温かいモノがステンレスのカトラリーと一緒に出てくる。小さなコチュジャンのチューブがうれしい。肉けの多い食事なので私は弱いのだが美味しかった。帰りの便は個別ビデオがありシン・ハギュンとチャ・スンウォンThe Big Scene'を見た。でも早く着いてしまったので最後まで見ることが出来なかった。真犯人は誰だ?結末が知りたい。

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November 05, 2005

ソウル ①

突然ソウルへ行くことになった。オンラインで予約したら3日後11月1日に返信メールで4日OZ105便と6日のOZ102便が取れたと連絡があった。ソウルに23時10分着とある。朝は10時発本当に丸1日だけのソウルだ。目的はメガネを作ること。まぁいいか!インチョンのimmigrationを出たのは12時をまわっていた。2時間ほど前UAで着いていた同行者が待っていてくれた。彼女がいなければ私はエアをキャンセルしてしまったと思う。韓河にはもやがかかっていた。

s-PICT0021s-PICT0027s-PICT00377時過ぎ目が覚めた。ソウルのホテルは原則として朝食は付いていない。もちろんホテルの中に朝食をとるレストランはあるけれど、お粥、スジェピと呼ぶスイトン様のものとか、酢を使わないキムパブと呼ばれる巻き寿司など早い時間から食堂が開いているのでいつも外食する。朝食はソルロンタンにしようということになった。牛肉を柔らかくなるまで煮込んだスープだ。ちょっと朝から?と思ったけど、同行者はコレだという。出てきたのはステンレスのどんぶりによく煮込んでスライスした牛肉、春雨、小口切りのネギがいっぱい入ったスープだが小皿がいっぱい付く。青唐辛子、たまねぎはニンニクみそで食べる。もちろん白菜のキムチ、カクトゥギ(大根のキムチ)がボボーンと入った鉢その上にトングと鋏がおいてある。お好みで切ってたべてくださいってこと。ご飯もステンレスの蓋付き容器に1膳ほど入っている。あとは岩のりのみそ汁これも美味しい。野菜が多いせいか意外にさっぱりいただけた。

10時に私のソウルの恋人?安さんがヨン様と一緒の4輪駆動のおっきな車で迎えに来てくれた。HYUNDAIだったかな?見落とした。彼とはもう4年来のおつきあいになる。セデムン(西大門)の友人の眼鏡屋さんで丁寧に私のメガネと同行者のコンタクトを作ってもらった。夜11時にホテルに配達してくれるという。午前中で今回の目的は終わってしまった。その後ナムデモン(南大門)市場に送ってもらった。

s-PICT0047s-PICT0048s-PICT0050お昼はチョッパルを食べることになった。チョッパルとは豚足を下ゆでし薬念スープで長時間煮込んだものだそうだ。相性の良いアミの塩からを付け野菜で巻いたりしていただく。いままで食わず嫌いで一度も食べたことがなかったけどこれも食べてみてまずくはなかった。写真ほどには油こくない。でも明日食べるかと言われるとちょっと・・・

午後は二人別れて行動した。ミョンドン(明洞)、イテウォン(梨泰院)をぶらぶらしてから地下鉄でウラジロイック(乙支路1街)まで出てロッテ百貨店へこの辺はもう何度も来ているので迷うことはない。新宿を歩いているような気分でウロウロ出来る。ホテルへは6時半頃帰りNHKのBS放送を眺める。

夜はまた徒歩で東大門へ。夕食も食堂で韓国餅入りワンタンスープらしきものと冷麺風中華そばを食べた。フイに入った食堂だったがアタリ!美味しかった。ミリオレをぶらぶらしていたら帰り道、雨が降ってきた。予報では今日は朝から雨と言うことだったので良かった。昼間は23℃くらいあっただろうか?銀杏の葉の落ち方など晩秋だが今日の気温はかなり高かった。あぁ~楽しかった。

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November 04, 2005

エアロバイク

毎週火曜日と金曜日は東京体育館のサブアリーナで1時間エクササイズの指導を受けている。まず軽くストレッチ、チューブで腹筋を鍛えたり肩こりの原因となる肩胛骨の運動の仕方、ダンベルを使ったエクササイズ、ボールを使ったリズム体操へと続き最後の15分間ポールストレッチを行う。身体が軽くなったところで各自自由にトレーニングルームで身体を動かす。今日はエアロバイクを40分漕いだ。ようやくご飯1膳分240キロカロリー消費した。

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November 03, 2005

球根を植えた

s-s-PB040027朝方は冷え込んだものの昼間は風もなく暖かいガーデニング日和だった。10月はじめに第1陣の春の球根を植えたのだがムスカリ、アネモネ等はもう葉が伸びてきている。花が咲くころには葉は徒長してしまうかもしれない。アサガオは来週処分するとして空いている鉢やらプランターに第2陣の球根を植え込んだ。上にはMさんにいただいたわすれな草やニゲラを植えた。春が待ち遠しい。

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November 02, 2005

つくばエクスプレスに乗って ③

s-PB040030新松戸に住むネットの友人を訪ねた。3年来のおつきあい。ガーデニングのことでは色々教えて戴いている。広いお庭にはしゅうめい菊、ウィンターコスモス、白のヤマホロシ、ポーチュラカなど咲いておりまた来年の為の苗も沢山準備されていた。さすが花のガーデニングブログ部門で上位を占めるだけあるなぁ、用意万端。ヘブンリーブルーもあちらこちらに咲かせていらしたけど二階のベランダへと仕立てたネットには大輪の花が青空に映えて美しかった。お茶を戴きながら色々な話をした。おいとまする時にわすれな草、ニゲラの苗、それにお庭の柿、ボケの実、子菊も切って下さった。大荷物を抱えて夕闇迫る駅への道を急いだ。

bokejamそのとき戴いた珍しいボケの実で今日はジャムを作った。鼻を近づけると薔薇の様な香りがした。なにか移り香なのかしらと思ったら、実自身の匂いらしい。ボケはバラ科だったかな?半分に割ると-と言っても簡単には割れなかった。かなり堅い実だ。-リンゴの様な種がいっぱい中心にあった。種だけ取り銀杏切りにして水を少し加え煮る。100g位の実だったので10分もするとすっかり柔らかくなった。それを裏ごしグラニュー糖を30g入れ20分煮詰めた。かなり酸味が強い。最初の薔薇のような香りは失せたが独特の良い香りがする。ヨーグルトのトッピングにも合いそうだ。ボケ防止にもなるかしら?

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November 01, 2005

つくばエクスプレスに乗って ②

asagaocha南流山から武蔵野線に乗り換え一駅、新松戸へ。朝10時からのTK氏の「譜を読む」セミナーに参加。最初にA3用紙8枚渡された。ベートーベンのソナタ32番第一楽章の楽譜。余白には注意書きがいっぱい書かれている。講義はちび・ぶおとこ・面食いのベートーベンの略歴から始まった。続いてこの曲がベートーベンが好きだったギリシャ神話のヘバイストスと妻ヴィーナスの話を基にしており海の中でビーナスが貝から誕生するところは素晴らしいとも・・・まぁどの辺りなのかしらとワクワクしながら講義を聞いていた。このセミナーに来ている人たちはもちろん音楽に長けている人たちばかりらしいので譜を見ただけで指が動き音が入ってくるらしい。私は自慢じゃないけど譜が読めない。今は何小節の解説ですよと言われるとわかるのだが途中からだともうお手上げだ。提示部・展開部・再現部・浄化・変換・清算などという耳慣れない言葉が2時間続きようやく予定時間終了!あらビーナスは?と思ったらまた第2楽章のはじめの50小節までの講義が始まった。ここら辺でごめんなさい zzzzzzz となりました。続きのセミナーは11月30日にある由。

http://homepage2.nifty.com/read-music/read1.htm#r.12

お昼は近くのお寿司屋さんで・・・そこでハングルを勉強したN子さんの話を聞いた。私はNHKのハングル語講座を4月だけ受講したのだがそのあまりの難しさに give up 。しかしそのN子さんによると簡単でさっそく箸袋へ即席ハングル講義をしてもらった。といっても「あいうえおとかきくけこ」だけだったけどおもしろかった。

お寿司屋さんの入り口には海老茶色の日本朝顔が咲いていた。これは「團十郎」という名前だと私が説明すると、誰かが成田屋の色だからかしらと言った。なるほど市川海老蔵って成田屋だったなぁ。帰ってから調べてみるとこの色は五代目市川団十郎の「暫」という狂言の衣装に用いられ流行した色で団十郎茶というのだそうだ。

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